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霧島市長選挙への立候補表明会見でお話ししたこと

霧島市長選挙への立候補表明会見を令和3年4月16日に鹿児島県庁3階の県政記者室「青潮会」にて行いました。
その時にお話しした内容は以下の通りです。

私は、鹿児島神宮のすぐ近くに生まれました。小学校に上がるときに、家族でこのまちを離れましたが、就職の時に、ひとり帰ってまいりました。
以来、市職員として23年間勤務し、そのほとんどの期間を、市民の生活に直結する保健・福祉部門、税部門で、一人ひとりの、一つ一つの、悩み、課題、困りごとに向き合ってまいりました。

そしてそれらを俯瞰し、霧島市に欠けているもの、必要なことを見出し、その解決・改善策を企画し、実現に向けて最短距離を走る、そのように仕事をして参りました。

前例踏襲を嫌い、何に基づいて、なんのために仕事をするのか問い続け、置かれた場所で、時にはその枠をはみ出して、常に市政を前進させ続けてきました。

直近では、地域に、福祉と支え合いの網の目を広げていくイメージを組み立て、民生委員、地域包括支援センター、基幹相談支援センター、成年後見センター、生活支援体制整備事業、介護予防事業、これらを全体のバランスをとりながら、有機的に連動できるよう、一つ一つに丁寧に関わってまいりました。
そして、その集大成として、地域住民の相談を一箇所で受けとめる「包括的支援体制」の構築を誰に言われるでもなく自発的に企画し、「こども・くらし相談センター」として実現をさせました。

一方で、市政全体、自分が手の届かない、携われない分野を見ますと、なかなか物事が進んでいかない、あるいは何故そちらに進んでいくのだろう、と言うような状況に歯痒い想いをして参りました。市民の課題や願い、本当に必要なもの、それらにうまく向き合えない組織ではないか、そう感じておりました。

霧島市が持つポテンシャルは誰もが認めるところであります。
空港、JR、高速道路、温泉、国立公園、海があり山がある。
また、日本をリードする電子・電気製造業や、お茶や畜産をはじめとした多様な農業、漁港もあり、観光・サービス業等々、多様な雇用もあります。
高齢化率も県内では鹿児島市の次に低い若いまちであり、鹿児島高専や第一工科大学、高校も6つあり、中等・高等教育機関も充実しております。

しかし、合併して15年あまり、それを生かしきれていない。市の内外から言われ続けています。4年前にトップが変わりましたが、むしろ方向性が見えなくなった、との声が市民から言われています。

withコロナ、ポストコロナの時代、少子化問題、認知症・虚弱高齢者の増加、生活困窮者問題、コミュニテイの分断、医療・福祉の人材不足、地域経済の再構築、行政のデジタル化の遅れ、これらの課題が強調されました。
しかし、課題に対応するべき政治が、市民感覚とズレている。これまでの政治ではダメだ、そのような空気が広がっております。

今、この変革の時代。多様な市民を包摂しながら、明確なビジョンを示し、それを組織に落とし込み、機動力を持って課題に取り組むリーダーが必要だと感じました。

このまま誰かがやってくれるのを待っていていいのだろうか。
このままの行政では、自分がどこかで前に進むことを諦めてしまうのではないだろうか。
60代になってからやろうとしても、時代とズレているのではないだろうか。
40代の自分の今の感覚だからこそ、霧島市のためにできることがあるのではないだろうか。

安定した職場を退職するのは、大変勇気のいる決断でした。本当に悩みました。
しかし、最後には「自分の力を、もっと霧島市のために活かしたい」という、自分の内なる情熱が勝ちました。

2040年、私も含めた団塊ジュニア世代が高齢者となります。
今回の市長選挙は、向こう20年の霧島市の未来を決めるものとなります。
特定の誰かのための政治ではなく、みんなのための政治に。
市民が、生きがいを幸せを感じながら、活発に活動し、自己実現できる、もっと優しい、もっとワクワクする霧島市にしたい、
資源と人がつながり、もっと輝く霧島市。
子や孫と住み続けることができる、子や孫に引き継いでいける霧島市を実現したい。
そのように考えております。

概ね上記のような内容をお話しし、質疑応答含め一時間程度の会見となりました。

その後、各社(テレビ・新聞8社)からは「調査票」なるものの記入を依頼されました。
一枚紙にプロフィールをまとめるもので、氏名・住所・本籍・学歴・職歴をはじめ、家族の情報、親戚に議員等がいるか、など各社とも微妙に項目が違います。
各社、このフォーマットになるには、その時々の候補者とのやりとり等色々な理由があったのだろうと思いつつも、手書きはなかなか時間がかかり、ゴールデンウィークでやっと書きおわりました。

一歩一歩、着実に歩みを進めて参ります。

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