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【考えていたこと、考えていること】霧島市の発達障害支援拠点、こども発達サポートセンターの立ち上げ

「あなたにやって欲しい仕事がある。発達障害支援のセンターを作りたい」
平成23年4月、農業委員会から保健福祉政策課に異動してきたその歓送迎会の席で、当時の部長から言われました。

 私は採用時が保健センターの係でしたので、乳幼児健診や親子教室の現場を見てきました。当時は、発達障害という言葉はまだ無かったと思いますが、丁寧な関わりが必要な子供がいたことはよく覚えています。

 発達障害者支援法が施行されたのが平成17年。脳の機能障害により、自閉症スペクトラムや学習障害(LD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)などの特性を持つ人を支援の対象とする法律でした。

 発達障害については、なかなか理解が進んでおらず、個々に応じた支援を受けるのがなかなか難しい状態でした。霧島市は支援が進んでいる方でしたが、市職員の定数削減の真っ只中でもあったため、センター設置については、庁内では否定的・懐疑的な状況でした。

 担当となり、まずは部長や保健センターとの意見のキャッチボールから、発達障害そのものへの理解と、支援の現状、目指すものの大まかなイメージを掴みました。

 発達障害は、個々の特性を理解し、それに合わせた関わりが必要で、早期の療育が勧められています。そのためには早期の発見が大事であること。発見をしても、療育に繋ぐためには、保護者に子供の発達の状況を受け入れてもらうことが一番大事なところでした。

 当時、奈須先生という素晴らしい小児科医が関わってくださっていました。奈須先生が保護者に話をするのを隣で聞いていたことがあります。一般的に大人はどうしても、子供ができないこと、苦手なことに目が行きますが、子供の行動一つ一つを丁寧に観察し、あれもできる、これが上手とポジティブな言葉を語られることで、保護者も子供の可能性に気づき、子供の得意を伸ばすための声かけに涙されていました。奈須先生がいらっしゃるうちに、霧島市の発達障害支援を確固たるものにしなければ、そう強く感じました。

 センターの役割、人員体制、予算などを具体的に固めるため、これまで発達障害支援に関わってきた人や保護者等による会議を重ねながら、先進地である、伊佐市、佐世保市の視察に行きました。

 先進地では、相談から療育まで行政が一体的に取り組んでいましたが、霧島市では相談·診断に特化する形にしました。「療育までしなければ意味が無い」という意見もありましたが、療育は民間事業所の力を借りることとして、今、小さくてもできることから始めなければ、何も始まらない、支援体制は作れないとの考えでした。

 組織や事業としてはスクラップ&ビルドで、人員·予算を極端に増やさず済むようにしましたが、教育委員会と同じ方向を向いていかなければ、学校との連携がうまくいかないことが予想されたため、上司と二人で「学校現場を助けるためにも、このセンターは必要であり、そのためにぜひ教育委員会からも職員を配置して欲しい」と教育委員会にお願いに行きました。最初は難色を示されましたが、最後には「あなたの熱意に負けた。フルタイムでの配置は無理だか、週に1回は指導主事がいるようにしましょう」と言ってもらいました。

 場所についても、当時使われていなかった国分保健センターの一部を事務所と相談室とする計画を作りましたが、最低限の施設の整備や備品購入費用がネックとなっていました。あちこち調べた結果、利用できそうな国の補助金を見つけたため、これもクリアすることができました。

 こうして、具体的な企画、予算案、条例案作成、全てを一手に引き受けましたが、平成24年4月、こども発達サポートセンター「あゆみ」は誕生しました。今では、さまざまな取り組みを行う民間の療育機関も増え、霧島市の発達障害支援は広がりを見せています。

 市内の小学校の特別支援学級の数は100クラス以上もあるそうで、家庭、学校、学童、療育機関が同じ方向を向いて、一人ひとりの子供たちの育ちを支えられるように連携していくこと、そして、義務教育後の支援、特に段階に応じた就労支援、日常生活支援などが、今後重要になるのではないかと考えています。

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