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【霧島市】地域包括支援センター、基幹相談支援センターでやってきたこと。

「秋丸さん、地域包括支援センターに相談したら、2ヶ月待ってくれと言われたの。どうすればいいけ」
民生委員の担当をしていた私は、すぐに地域包括支援センターに電話をし、「民生委員がボランティアで食事まで作って支援している方なので、サービスを入れないと民生委員が疲れてしまう」と事情を説明し、なんとか対応をして貰いました。

 当面の問題が道筋ができた後に、「なんで、2ヶ月も待たないといけないの?」と尋ねると、「秋丸さん、全然人が足りないんです」という返事。
 地域包括支援センターの仕事には、大きく二つあり、一つが、介護保険の要支援の認定を受けている人がヘルパーなどのサービスを受けるための計画づくり、二つ目が、高齢者の相談の対応したり、介護予防の取り組みを進めることでした。
ところが、人数が足りないため、一つ目の仕事で手一杯だとのこと。

「担当課に増員要望をしても、聞いて貰えないんです」
「客観的な資料を出さないと」
「出してあるんですが」
 見せて貰った資料では、確かに県内の他の市町村と比較しても明らかに足りない。さらに、非正規職員としての雇用が多いためか退職も多い。危機的状況でした。

 私は、この平成28年当時保健福祉政策課でした。次年度から介護保険の制度が大きく変わり、総合事業というものを始めなければならなかったのですが、担当課ではその作業がほとんど進んでおらず、担当のメンタル状態が悪くなりつつあるのをはたから感じていたため、部長と担当課長に「全権を委ねて貰えるならば、私が作業をやります」と直訴して、了承を得ていたところでした。

 この地域包括支援センターについても、担当でも担当課でも無かったのですが、総合事業と併せて関わって行くこととしました。とりあえず挨拶をと、初めて地域包括支援センターの全体会議に出席した後、職員の一部が懇親会を開いてくれました。
「こういう問題がある」「これに悩んでいる」「今までは話を聞いてもらえなかった」

 私は「話を聞く限り、明らかに人員不足ですが、人が増えれば、問題は解決しますか?」と尋ねました。
「そうなればいいけど、今までも要望してきて、何も変わらなかったので・・・」
「わかりました。増やす方向で動きます」そう答えましたが、地域包括支援センターの職員は半信半疑でした。

 しかし、総合事業の開始にあわせて、根本的に予算も組み直さなくてはならなかったため、事業の全面的な見直し、予算として必要な額のチェックを行い、結果として、翌29年度、地域包括支援センター職員は10人以上増えることとなりました。同時に非正規職員を正規職員化する予算も計上しました。

 私も、29年度から長寿・障害福祉課に異動となり、直接の包括の担当となりました。
「体制は整えました。あとは高齢者福祉のために地域包括支援センターが何に取り組んでいくのか。今までできなかった何をするのか。それを皆さんで語って、意思統一を図ってください」
 自分たちが今まで訴えていたことが認められた地域包括支援センター職員は、モチベーションが高まり、自分たちがどうあるべきかの話し合いを重ねて、市への提言書としてまとめました。ちょうどその年は介護保険事業計画の見直しの年でもあり、その計画にも一部を盛り込んで、現場の人間の声を市政に反映させることができました。

 その次の30年度、同じ長寿・障害福祉課の隣の障害福祉グループで、障害者の相談対応をする、「基幹相談支援センター」を立ち上げることになりました。平成30年度中に開設予定としていましたが、その準備がなかなか進みません。31年度4月開設にスケジュールを遅らせても、そちらも雲行きが怪しくなったところで、10月に上司から「隣のグループの業務だけど開設準備を進めて欲しい」と言われ、携わることとなりました、そこからスケジュールを仕切り直し、障害福祉を勉強しながら、先進地視察、人員配置、システム導入などを進めることになりました。
 先進地視察に行って感じたことは、霧島市の障害福祉は遅れていると感じました。特に制度がどんどん変わるスピードについていけていないという印象を受けました。これから障害福祉の充実を図っていくためには、関係者のネットワークづくりから行っていかなければならないと強く感じました。
 「視察先では、事業所のネットワークがあって、そこから出て来た意見を市役所は尊重する信頼関係ができていた。あれを目指そう。『市役所の担当が変わったら動かなくなった』みたいなことが無いように」何をどこから始めるべきか悩んでいた基幹相談支援センターの職員にそういうアドバイスを与えながら、そのための道筋を説きました。

 同じ頃には、成年後見センターの運営にも深く関わり、県の説明会で霧島市の成年後見への取り組みと今後の方向性への持論をぶち上げたところ、講師で来ていた厚生労働省の方の目に留まり、国の委託事業で作っている報告書に霧島市の事例を取材をさせて欲しいとお声がけいただきました。報告書に霧島市の名前は出て来ませんが、数ページにわたって紹介いただきました。

 これらの相談支援機関との関わりの中で、現場の悩みを見聞きしながら、私はある考えを持つことに至りました。
「こどもに関すること、高齢者に関すること、障害者に関すること、生活困窮者に関すること、こういう色々な相談対応を一箇所でできる部署を作ろう」


 写真は退職にあたって、地域包括支援センター、基幹相談支援センターの職員からいただいたものです。この時点では、彼らは4月から私が何をしようとしているのか知りませんでした。そのため、私が退職することで、喪失感や裏切られた感じを持った方もいただろうと思っていました。でも、こうして送り出してくれて、とても感謝しています。それと、4月1日の新聞で驚かせてごめんなさい。

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